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素であるということ
最近、友人とのやりとりで話題になっているのが、写真や絵画など、作品を作る上での「素」の自分ということ。

「素」の自分・・・こないだ、中学生日記でかわいい中ボーたちが熱心に議論していたのを思い出す。
場面場面で違う自分を演じてしまうことが許せない、本当の自分はどれなの?
そのときは「どれも本当のあなたなのよ、ふふ、かわいいねえ」
と思ってみていたんですが・・・

私は駆け引きというのが苦手。
意図的に表出すること、演じることということを、されると不安になるし、自分もできない。

だから、いつも、真っ正面から向かって、ときたまぶつかって、えらい回り道をすることもあり。

でも、善意の嘘っていうことや、相手をうまく乗せて丸く収めたり、そういうのも世渡りには必要だ、ということが最近やっと判ってきた。やっと。

「素」の自分しかだせないこと、に開き直りつつある最近だけれど、
自分を意図的に抑えたり出したりすることも時には必要なんだよなあ。

今日、真っ正面からぶつかって、社会人になって以来のバトルをしてしまった。
周りは、聞き流せばいいじゃないか、という反応。
よりよい結果を導くためには必要な業なのかもしれないが、
今日の私には、その場で投げつけられた言葉の醜さを飲み込むことができず、
いくら言われても、それはできなかった。

これって「大人げない」ということなんだろうな。

今宵も、お供が必要でした。鍛高譚(たんたかたん)。北海道のしそ焼酎です。
素であるということ_c0005243_19501423.gif

Top▲ | by haisai_coaki | 2005-02-02 23:03 | フト思ウコト
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